
この世の中には「本音と建前」や「噓も方便」と言った言葉があるように、コミュニケーションや物事を円滑に進めるために、時としてウソを付くことが正当化される時があります。
これは他人の気持ちや協調性を尊重する日本ならではの価値観によるものと言われています。
特に大人になるとビジネスシーンや日常生活の中で、「本音と建前」を使い分けることが多く、普段から自然に使い分けれる人もいれば、なかなか使い分けれない人もいるのではないでしょうか。
私も自分に真っ直ぐに生きたいと思っているタイプの人間でしたので、「本音と建前」を使い分けることはとても苦手でしたが、やなり歳を重ねると自然にできるようになってくるものですね。
私の場合は、特にビジネスシーンにおいて「本音と建前」を使うことが多く、年齢を重ね部下が増えたり、先方との交渉の場が増えたことで、若い時より意識して使うようになりました。
若い時は何だか相手に対してウソを付いているようで「本音と建前」を使うことや使った後に罪悪感がありましたが、使う頻度が多くなると、自分の中で「本音と建前」という名のウソを付くことが正当化され、次第に罪悪感を感じることはなくなりました。
しかし、最近ふとYouTubeを観ていたら「親兄弟にまで見栄(本音と建前)を張ったらお終い」と言う言葉を耳にした際に、何だかハッとしました。
見栄を張ることは、何だか自分自身の器の小ささをアピールすような気がするので、私自身は家族や友人、仕事仲間に対して用いることはありませんが、「本音と建前」を使うことは、もちろんあります。
ですが、私が最も気になったのは、誰かに「本音と建前」を使わせていないかと言うことです。
「本音と建前」を使うと言うことは、反対に使われることもあると言うことですよね。
例えば、妻が近所の人たちに「うちの旦那は・・・」、先輩や上司が「SHIN君は・・・」と周りに言っていないだろうかと。
もちろん本心で私のことを良いように言ってくれるのであれば、それはとてもありがたい事なのかも知れませんが、本当は思ってもいないことを私を庇って言ってくれているのだとしたら、それは「建前」で言わしている私が悪いと思うんです😧
それともう1つ。
みなさんには建前なしで話せる親兄弟や友人がいますか?
もしいるのであれば、是非その人を大切にして欲しいと思います。
そして、お盆が近づき夏の帰省シーズンが近づいてきていますが、自分の親兄弟に対しては、是非とも「建前」抜きで会話をして欲しいと思います。
「建前」を使わないこと、そしてパートナーがいれば「建前」を使わせないこと。
そんな関係性を築ける人間関係を大切にしたいですね😊
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