「泣きかたをわすれていた」

今回は落合恵子さんの著書である「泣きかたをわすれていた」を紹介したいと思います。

壮絶な介護の末に母を送ったあの日から10年。いま、冬子は自ら終わりを見据えはじめる……著者20年ぶりの傑作長篇!

もうしばらくは泣いていよう。わたしはそう決めて、涙の感触を楽しんだ。――冬子、72歳。7年にわたる認知症の母の自宅介護、そして愛するひとたちとの別れの先に広がる、大いなる解放とは――。
著者、21年ぶりとなる待望の最新小説!

早くも感動の声、続々!
「たいせつな誰かを見送ってようやく、人は自分が何者であるかに気づくのかもしれない」(中島京子さん)
「人間は生きる事に囚われない事で、かえって解放され自由になれることに気づかせて貰いました」(三省堂書店 名古屋本店 副本店長 奥野純司さん)
「人生は平坦でないからこそ面白いし、他者との交わりは難儀なほど情が深まる。「世の中を美しくする」ために何ができるのか。必死で考えてきた人の苦味が花を咲かせる。絵本みたいな花」(ブックスルーエ 花本武さん)
「老いは誰にでも初めての事だ。介護と仕事に追われてきた冬子。彼女に救いをもたらしたのは植物と絵本の力だった。読後、風が通り抜けて行った。」(たらば書房 川瀬由美子さん)
「まるで祈りのような、レクイエムのような物語でした。泣けない子どもだった人と、泣きたい大人におすすめします」(有隣堂 アトレ恵比寿店 酒井ふゆきさん)
「単純に母親介護を慰労するには、ためらわれる悲壮な物語であり、彼女の達観と相当な覚悟が、静かに綴られている。『レモンちゃん』こと落合恵子さんの著作だとは、だれもが思えないほど衝撃的内容に愕然とするだろう」(教文館 和書部 店長 岩本洋一さん)

本書は親の介護や愛する人たちとの別れに後に広がる義務感や心残りから解放され、いつでも死ねると安堵した女性である冬子が主人公の物語です。

冬子には子供がおらず、唯一の身内は母親のみでしたが、そんな母親も認知症を患い、介護に明け暮れる日々。

約10年の介護生活の末に母親を見送り、その後に残ったものが何なのか?

私はその残ったものが知りたくて本書を読みました。

自分の両親と言うのは普通に考えれば自分より早く死んでしまいます。親の介護と言うのは、誰しもが通る現実問題であり、避けては通れないものだと思います。

本書は親の介護の事であったり、身内の死により最後に何が残るのかを考えさせられる作品となっていますので、是非、興味のある方は手に取って読んでみてください。

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